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レビューのレビュー 社会を覆う恐怖の靄

なるほどー と思いながら読んでいたブログの一番下に書いてあった文字に触発されて、書いてみた。

 

http://onomiyuki.com/?p=274

レビュー:村上龍「逃げる中高年、欲望のない若者たち」—純化する欲望と自殺回避—

 

あれ? リンク貼るとタイトルとか要約とか勝手に出るもんじゃないの!?

 

ま、まぁいいや。

適当に整形しよう。

「What do yo think?」 って事らしいので思った事をつらつらと。
・・・コメント欄に書こうかなと思ったのだが、思いの外長文になってしまったので、こっちに書こう。

ええと、とりあえず良いことも、為になることも書くつもりは無いので、そういうのを求める人は回れ右しちゃってください。
本当に思ったことを書き留めておこうって程度の軽い気持ちで書いてます。

■ 無責任な感想

出口のない怒りですね。 読んでて感じました。

3年も前の記事なので、今はまた違ったことを感じているかもしれませんね。
「ネタにする」って割には、反論の強さに変な緊張感を感じたりもする。

結局は、形は変われど今も昔も「社会」や「流行」に振り回されるワカモノは大変なんだな。
という、見事なまでの傍観者的なところに、自分的には集約されてしまった。

と、書くと
「バカにすんな!黙ってろ! タヒね!」
と言った具合に石が飛んできそうですね。
全然バカにはしていません。
でも、蚊帳の外からの、心ない一言なのは間違いないかもしれない。

そう感じた人は、今からでも遅くはない。
ブラウザのタブを、そっと閉じるんだ。
此処から先は、もっと不愉快で無益な時間しか無いぞ。


■ 無責任な動機

ふう。

これで、石を投げる人は、居なくなった筈だ。
もやっとした考察は沢山浮かんだけれども、最低限の筋書きとして成立しそうな1つを書き残しておこうと思う。

打ち明けると、この本は読んだことがない。
ただ、彼の本の大半を読んでいるのと、批判ポイントが分かりやすく書かれていたので、「なんとなく全容は見えるなー」と思ってペンを取った次第。

これを書いている今現在は、どうやったらより多くの人が幸せになれるんだろうとまじめに考えてます。
あんまり人の心に詳しくないので、答えをだすことはハナから諦めていたりもしますが。

■ セックスするのは簡単なのか

最初に思ったのは、「セックスするのは簡単」というのは、男性からすると違うかもしれない。

案外色んなハードルがありますよ。

ルックス、人柄、身分、経済状況、将来性、なにもかも無視して「いいから抱いて!」だったら、確かに女性の立場からすればイージーモードになるんだろうけれど、きちんとしたパートナーや心の支えになりうる相手とのセックスって、簡単には出来ないのでは?

男からすれば、相手にそういった幻想を持たせたり、本当にそういう人間になるべく切磋琢磨したりして、それなりに努力をしなければたどり着けない遥か遠くのスタートラインがセックスなんじゃないかと思ったりもします。

■ セックスより絆?

小野氏の書いている、

「ワカモノが群れたがるのは、生存本能の賜だ」
という件は、凄い洞察だと思う。

なんとなく感じていたことを、ストレートに言葉にしてつきつけられた感じ。

簡単に言っちゃうと語弊もあるかもしれないけれど、「セックスより絆」「孤独よりは死」っていう極端で偏った、しかし切実なメンタリティが透けて見えた。


えー!!
孤独でも良いじゃん。
空気読め無くても良いじゃん。

なんて思うわけです。


そんなものは昔も今も未来も存在しえないと思ってたりするのだけれども、「他人とつながっていたい」もしくは「本当の自分を分かってくれる人が居なければならない」っていう強迫観念は、なんでこんなにも強固に世の中を覆っているんだろう。
いやいや、絶対に存在しないって言っちゃうと嘘になるのかもしれないけれど、非常に少ない事例しか存在しない事象なんじゃないのかな?
「年収600万以上の旦那」程度の希少性はあると思う。

そんなもん追い求めなくても、時々傷ついて、時々笑って生きていけば良いじゃないって思うんだけどな。


この一見違うようで、俺から見ると昔と変わらないワカモノを苦しめているモノって何なんだろう?
多分昔は、「家庭を持って一人前」という強力な幻想が世の中を覆っていたんだと思うけれど、今はそれが「他人とつながっていたい」に置き換わっただけなんじゃないだろうか。


ひとつには、寄り合わなくても生きていける豊かな社会が作られた事が理由なのかなと思う。
もうひとつ、将来的にまた寄り合わなくては生きていけない社会がやってくる。自分が生きている間にそれはやってくる。
という、予感がワカモノの間にはあるのではないか。

それが、絆志向をより一層強めている気がしてきた。
んで、失敗に不寛容な文化的な下地が、更に焦燥感を煽って人を殺したりしている。

結局のところ、一番の問題ってここなんじゃないだろうか。


■ 今のニッポンに対する恐怖

俺個人の話としては、自殺っていう人生の閉じ方も全然ありだと思っているので、説得力はないかもしれないけれども、そんな俺から見ても今の社会って不気味に感じられる。


この、一回でもミスしたらゲームオーバーみたいな文化はマジで怖い。 というかキモイ。
「人とつながっていたい」も、これに影響されてか、物凄く不寛容な形になっている気がする。


でもさー なんかさー
思うわけよ。

それはもっと寛容に生きてなきゃ、ムリゲーじゃないの?
どうせ、支えあうしか無くなってしまえば、みんなそうやって生きていけるよ。
今からそんなに無理して完璧を求めなくても全然困らないし、幻想を追い求め過ぎたり、失敗したかといって絶望したり死んだりしなくても良いんじゃないのかな。

個性や絆を大事にとか言われている世代の方が、失敗「も」する機械が人間なんだから寛容でも良い筈だと思うのだが、自分の周辺のワカモノを見た限りではオッサン連中よりもずっと不寛容な気がする。
あんまり歴史は得意じゃないけれど、歴史を見ると日本人はそういう部分での寛容性が特に少ない。
そうしてみると、これは仕方のない事で変えられない物なのかもしれない、と感じたりもする。
だから、このまま進んでいくと、未来でも時々のトレンドからふるい落とされたり、失敗したりすると死んじゃうのかな。


なんか面白くねーなー


そうして考えると、海外からドンドン人や文化が流入してくるようになっていって、こういう部分が変質していったら良いのかも。

今でも入ってきてるじゃねーか!
って思う人も居るのかもしれないけれども、今入ってきているのは情報だけだと思う。
そして、少なくとも変化が訪れるのだったら、そういう破壊はあっても良いと思う。
良いんだよ!消去法で! 選挙と一緒だ!!
なんつってね。


■ 結論?

島国なんだから仕方がないんだが、光ケーブルや空路、航路で地球が小さくなった今は、それを捨てても良いんじゃなかろうか。

自発的に捨てるのは難しそうだから、ぶっ壊れる様なイベントが起こっちゃうのもアリじゃないだろうか。
もしそれらが分断されて、原始的な生活がやってきたとしても、そんときゃまた島国根性が勝手に蘇るだろうし。
なんせ、ここは島国だからね。

なんていう、自分的には清々しい結論に達する出来ました。
元記事書いてくれた人ありがとう。
もし、ここまで読んでしまって不愉快な思いをしたなら、ごめんね。

この辺で、しっかりしたオチまでもってけると、カリスマになれんのかなw
おれにゃー無理だw

やめだ! やめやめ!!


■ 村上ファンとして

最後に、村上龍が言わんとしているのは、いわゆるDQNな世界(失礼!)ではまだまだ使える手法だろうし、混じってみたら良い奴もそれなりにいて、生きがいみたいなものも手に入ったりするんじゃなかろうか。

もっと言えば、別にDQNにならなくても身の回りの複雑化しすぎた人間関係を、時々バッサリと切り捨てたり最適化したりして、自分が生きやすい状況を作る努力と試みはした方が良いのではないだろうか。ぶっ壊れるよりかは、ずっとマシな状況になると思う。
村上龍が語っていたのは、そのメタファだったんじゃないのかな。

うーむ。
とりあえず、ブックオフで「自殺よりはSEX」を探してみよう。そうしよう。